その他情報/文化/相撲(すもう)の歴史

日本の国技といわれている相撲ですが、その中でも最も脚光を浴びているのが、日本相撲協会によって行われている「大相撲」です。

 相撲についての記述は、神話の時代にさかのぼります。現存する日本最古の歴史書である「古事記」(こじき)の中で、建御名方神(たけみなかたのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)が出雲(いずも)の国をかけた力くらべをして、建御雷神が勝ったという記述が見られます。また、日本最古の正史である「日本書紀」(にほんしょき)によると、第十一代垂仁天皇(すいにんてんのう)の御前で野見宿祢(のみのすくね)と当麻蹶速(たいま(とうま・たぎま)のくえはや(けはや))が日本一を争い、野見宿弥が当麻蹶速を絶命させたと記録されています。

 時代が進み戦国時代になると、大名は武術としての相撲を奨励するようになり、織田信長も毎年大勢の相撲人(すまいびと)を集めては上覧相撲(じょうらんずもう)を行ったといいます。このとき信長が勝者に与えた弓が現在の「弓取り式」の始まりと伝えられています。

 江戸時代になると、寺社の建立や修復のための寄付を集めるため、庶民的な相撲が行われるようになりました。俵を埋めて土俵を作るとともに、四隅に柱を立て、櫓(やぐら)を組むようになったのもこの頃からで、決まり手も四十八手(しじゅうはって)が成文化され、スポーツとしての相撲の始まりとなりました。

 江戸時代後期になると、現在の日本相撲協会の前身にあたる相撲会所(すもうかいしょ)が設立され相撲部屋も次々と誕生しました。

 その後、明治42年に「両国国技館」が開館し、昭和27年には、取組が観客に見やすいように、土俵のまわりにあった四本柱(しほんばしら)が撤去され、吊り屋根となりました。

 さらに、蔵前国技館開館(昭和29年)、両国新国技館開館(昭和60年)などを経て、現在に至っています。

●現在の決まり手は?

サンタクロース 大相撲の決まり手(勝負が決まった際の技(わざ)のこと)は、過去には四十八手でしたが、現在では八十二手となっています。また、技ではない勝負結果としての「勇み足」(いさみあし)、「腰砕け」(こしくだけ)、「つき手」(つきて)、「つきひざ」、「踏み出し」(ふみだし)や反則負けとなる「頭髪を故意につかむこと」など八つの禁手(きんじて)が決められています。




 

●今年の開催場所は?
 2004年1月11日(日)から25日(日)まで国技館で行われる「平成16年一月場所」を始め、年間6場所が開催されます。

 このほか、「NHK福祉大相撲」(2月4日)、「日本大相撲トーナメント」(2月8日)、「大相撲中国公演2004」(6月5・6日北京、6月9・10日上海)などの行事も開催されます。

☆相撲クイズ☆
 昨年十一月場所中に横綱・武蔵丸光洋(むさしまるこうよう)が引退したことにより、今日現在の横綱は、モンゴル出身の第68代横綱・朝青龍明徳(あさしょうりゅうあきのり)ただ一人となっています。

 さて、問題です。次の力士のうち、最も早い時期に横綱となったのは誰でしょう?正解は次回に掲載します。

1 曙 太郎(あけぼの たろう)
2 朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり)
3 小錦 八十吉(こにしき やそきち)
4 武蔵丸 光洋(むさしまる こうよう)





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